●INDEX ────
第1弾 (2012/3/29更新)
第2弾 (2012/4/20更新)
『いまどきのベンチャービジネスの成功パターンを考えてみよう』
第3弾 (2012/5/7更新)
『ぼくらが失敗体験から身につけたピンチを乗り切る方法を語ろう』
第3弾 『ぼくらが失敗体験から身につけたピンチを乗り切る方法を語ろう』
この連載対談も最終回を迎えました。
第一回目には、水野さんご自身の失敗体験から再起についてのポイントを話していただきました。
第二回目には、いまどきのベンチャービビネスの成功パターンを二人で考えてみました。
そして今回、第三回目には、数々の失敗から身につけた『ピンチを乗り切る方法』を話し合ってみたいと思います。
人は窮地に陥った時こそ、その人の本質が現れるといいます。
日本ではピンチになると、「逃げるな」「頑張れ」「挫けるな」という、ある意味で精神論的なエールが多く見られますが、
今日のビジネスの世界において、このエールは有効なのでしょうか。
これまでの常識を覆す視点から、「ピンチを乗り切る方法」を考えてみたいと思います。
1、ピンチでは逃げていい、時間を味方にしろ
水野氏
今回の対談で、改めて自分自身の失敗から再起への歩みを振り返ってみたのですが、どん底の状況の中で一番しびれた言葉は、川原先生にいただいた「今は逃げていい、逃げることで時間を味方にしろ」というものでした。
あの言葉が自分の中で一番刺さりましたね。
ビジネスに失敗して、生きるか死ぬかという究極の選択肢しかないと思っていたところに、あの言葉をいただいて三つ目の「逃げる」という選択肢があるということを知ったんです。土壇場になると、戦うか負けるか以外に逃げるっていう選択肢はなかなか思い浮かばないですよ。
川原
日本には「逃げる」ことを潔しとしない風土があるからでしょうね。
水野氏
川原先生に堂々と「逃げろ」と言っていただいて、正直しびれました。考えてみれば、常に勝っている人なんて少ないんですからね。
川原
野球でも敬遠があるんですから、ビジネスでも敬遠があっていいじゃないという発想ですよ。
水野氏
スポーツでもビジネスでも全戦全勝でいけることはまずないわけだから、時には負ける。でも、一度負けても闘いは続くんだから、負け試合になったら潔く「逃げる」。その発想があれば楽になりますね。
川原
プロ野球界では野村克也監督が名言をいろいろ残していますが、日本シリーズは4勝3敗でいい。4つ勝たなきゃいけないんじゃなくて、3つ負けられるという発想は斬新でしたね。
1戦3戦5戦7戦に全力投球して、2,4,6戦は全部捨てるんだっていう戦術。これなんかも完全に「逃げて」ますよね。実際、こっちが逃げると相手が冷える。そこに勝機が生まれる。逃げるのはひとつの戦い方であって、間を置いたり時間を掛けたりする戦術なんですよ。
水野氏
ビジネスの場合、自分がトップに立っていると「負け」を認められない感覚があると思います。社長の判断が間違っていたと思われたくないから、是が非でも勝とうとする。それでかえって大きな失敗を招いてしまう。
むしろ「今回は間違っていた、逃げる」って潔く言える人ってかっこいいですね。次は勝つからって。
ほんとに、そういう生き方は誰も教えてくれなかったですね。川原先生以外には。
川原
ピンチではそこが重要なんですよね。
水野氏
しかも「時間を味方に」っていうのがポイントですね。時期をずらすとまた状況が変わってくるんだから。
川原
そうなんです。結局ピンチを逆転させる要素って、知恵とか勇気とか行動力だって言われるけれど、実は大きなファクターは時間なんですよ。
水野氏
自分の債務整理のアドバイスをいただいていたときに思ったのは、今はなにしてもだめだっていう時があるんです。
昔は倒産した経営者がしばらく釣りでもしていたっていう話がありましたけれど、だめなときはしばらくじっとしてやり過ごしていたほうがいい。
まわりの状況がすっかり変わったときにもう一回挑戦すれば、闘い方も変わってきますから。
それを、負ける前に考えられるかどうかなんです。
川原
そこがなかなか難しいですよね。
水野氏
でも、これは真理です。
2、プロは取れるところしか追いかけない
―――具体的に、時間を使って再生した債務者の実例にはどんなものがありますか?
川原
たくさんありますよ。
例えば、廃業するときに、一旦金融機関や仕事の関係者と全て連絡を絶った経営者がいました。彼には、そうしたほうが金融機関にとっても債権の償却が早く進むとアドバイスしたんです。
彼はこのアドバイス通りに、事業を廃業させて、周囲と一切連絡をとれないようにしました。
すると銀行の担当者は、事業はしていない、本人とも連絡取れないということで、債権償却の稟議書を廻しやすくなったんです。
ところがこの人が、事業をなんとなく続けていたり、電話を掛ければ出てしまったりすると、金融機関としても取り立てなければならない。実は担当者としては「逃げてくれよ」っていいたいときもあるはずなんです。
上手に逃げてくれれば稟議にかけられる。なぜなら銀行からの融資はビジネスのお金だから、取り立てが無理だという状況になれば、不良債権処理したほうがいいというルールがあるからです。
水野氏
確かに、時が片付けてくれることもありますね。
一対一の債権債務の場合でも、近々の案件だと債権者は頭に血が上っていて、その案件を最優先事項として取り立てにくるけれど、半年経つともっと他に大事なことがいろいろ出てきたりします。あんだけあいつのこと追い詰めてやろうと思っていたものが、その間に優先順位が20個くらい出てきて、他の案件に集中することもありますからね。
川原
とにかく、金融のプロは取れるところにしか取りに行かないという大原則があるんです。
取れないやつを追いかけまわすのは時間の無駄。ビジネスだから、債権回収は一生懸命やるけれど、回収できる相手からやらなきゃだめでしょっていう原則がある。
連絡取れなくて、自宅にもいない人間を探してたって、現実的にはなかなか回収できないんですから。
これは、法的に破産手続きすることと同じです。結局は払えないんだから、間を置いて相手が不良債権処理をする。まったく同じことです。
水野氏
それは債権者に対して、債権償却のエクスキューズを与えるということでもありますね。
川原
そういうことです。担当者も一生懸命働きました。でも相手(債務者)がいなくなりました。捕まりません。見つけ出すには相当の時間とコストがかかります。となると、当然金融機関としては、次の展開(債権償却)を考えるわけです。
つまり、相手を「いなす」ということです。相撲だって柔道だって、相手が押してきたときに押し返さなきゃいけないなんてルールはないでしょう。力の強い相手が押してきたら、かわしてもいいし引いてもいい。
逃げるっていうのは、ある意味で相手が押してきたらこっちは引いちゃえみたいな戦術です。
そうすれば相手はばたっと倒れる。
とはいえ、逃げる場合の問題は、連帯保証人と不動産です。これがある場合には注意が必要してください。
ことに連帯保証人が居る場合には、早めに専門家に相談したほうがいいですね。
3、ピンチの時は、家族の存在が大きい
―――水野さんの場合、失敗と再起を経験したことで、それ以前とは経営に対する考え方とか行動は変わりましたか?
水野氏
今は転ばぬ先の杖というか、物事が悪いほうに転がり始める前に、そういう方向に行かないように前もって判断できるようになって来ていると思います。
当時は、一度悪くなりだしたら、袋小路のほうにどんどん走っていってしまう感じでしたけれど。
川原
水野さんの場合は、当時は若くて30歳ちょっとくらいでしょ。僕も32歳で独立したけれど、いい意味でも悪い意味でも若いころはでこぼこが大きいと思うんですね。
飛びぬけているものと欠けているものの落差がすごく大きい。
それが若者特有のひとつの形かもしれないけど、やっぱり年齢経験とともに劣っている部分はある程度埋めようとするから安定感が出てくる、人間としての。
特にベンチャーで失敗を経験した人がターンアラウンドすると、そういう傾向になりますね。
水野氏
確かにそういう面はあると思います。
川原
もう一つ大切な視点は、ピンチの時に結婚しているか、子供がいるかという面も大きいと思っています。
水野氏
どういうことですか?ベンチャー起業家には独身者が多いと思うんですが。
川原
普通に考えると、女房や子供がいたら冒険しないでサラリーマンとして安定を目指す。女房子供がいなかったら、ベンチャーでチャレンジすると考えがちですよね。
でも、それは全く逆です。
「独立したいんだ」っていうときに、一番的確なアドバイスをくれるのは奥さんです。あなたを一番知ってるのは奥さんなんだから。あなたの良さもだめさ加減も、そばにいて一番わかっている。人間は、一緒に生活していたらそうそう嘘はつけませんから。
奥さんに「独立してやってみたい」っていったときに「やってごらん」って言ってもらえたらその独立はGOサインです。
同様に、ピンチの時も、一番の理解者である奥さんがそばにいてくれたら強いんです。
水野氏
確かに周囲で成功した経営者をみても、どん底から這い上がった経営者を見ても、家族に信用ある人は強いですね。
逆に、ベンチャー起業を目指している若者たちの多くは独身で、時間も自由さもあっていいと思うけれど、総合的な耐久力や持久力を考えると、結婚していたほうがいいようですね。
家族の存在は、一見不自由なもの、事業には無駄なものに見ていても、実はそれは絶対に無駄じゃないと思います。
川原
その通り。起業して事業を立ち上げるにしても、人さまに喜んでもらいたい事業やサービスを考えるときも、根本的には家族が基準なんだと思います。家族が喜ばないものを作ったところで世間の人は喜ばないですよ。
例えば本田宗一郎氏は、妻が買い物の時に自転車をこぐのが大変そうだから自転車に小型モーター付けた。それがホンダの始まりだったというエピソードもあるくらいですから。
「かあちゃん買い物大変そう」が原点なんです。
水野氏
確かにエンジン付き自転車を買うのは、かあちゃんたち一般の人ですもんね。
川原氏
ソニーだってウォークマンをつくったときに、海外に行くのに飛行機の中で再生だけできるプレーヤーをつくってほしいっていう身内の要望からできたと聞きます。
ということは、事業は身近な人が喜ぶところからはじめるのが基本。
そう考えると、ピンチの時も家族がいるというのは大きなポイントだと思うんです。
水野氏
川原先生に教えてもらった一番大事なものは、人生で大切なのは仕事とかお金じゃないって気づかせてもらったことだと思っています。
そうすると、本当に大切なのは自分の命と家族の存在ですよね。
家族って優先順位が低くなりがちだけど、一緒に喜んでくれたり悲しんでくれたりします。
自分以外にそういう人がいるっていうことがすごく大事で、川原先生の言葉を借りれば「ホームに戻って共有できる」。
そのベースがあるかないかは、ピンチの時でもすごく大きいですね。
どんなに自由でも、足元を見ないで空ばかり見ていたら、どんどん現実からかけ離れていってだめになっちゃうなって思いますね。
川原
ピンチの人にアドバイスするときに、家庭がある人とない人ではその内容が違いますからね。
家庭があるっていうことで、人はどこかで冷静になれる。家庭がないと、経営破綻しても男ひとりどうなってもいいわけです。極端に言えば死んじゃってもいい。
ところが家庭があるっていうことは、単純に世間でいえば責任感もあるし自分はひとりじゃないんだってことで人は冷静になれる。
水野氏
それだけでなく、周囲の起業仲間の中には、現実的に一定期間収入がなくて、奥さんの収入で凌いだことがある人も少なくないですからね。
川原
最近の若い人たちは、結婚はコストだと考えて、コストがかかるから結婚しないという考えもあるようだけれど、本当はそうではないですよ。ピンチの時も家族がある人、家族を大切にする人は必ず再生できる。
それもまた、一つの真理だと思います。
水野氏
川原さん、ありがとうございました。
今回の対談であの当時のことを振り返ることができて、私も新しい事業にとってとても参考になりました。
川原
水野さん、長い対談、ありがとうございました。
執筆頑張ってください。
これからも二人で、若いベンチャー経営者や、経営につまずいた人たちに手をさしのべていきましょう。
読者のみなさんも、お付き合いありがとうございました。
また次回、新しいゲストをお招きして、旬の話題を語っていきたいと思います。
第2弾『いまどきのベンチャービジネスの成功パターンを考えてみよう』
この連載対談の第一章では、ベンチャーで起業した水野氏に、事業失敗の顛末を語っていただきました。
水野氏の行っていた事業はあと一歩でIPO(株式上場)を達成しそうだったのですが、結果的には失敗。失意のなかで再生相談に川原のもとを訪ねた時にもらった「あんたも小物だね」というひと言が、その後の再生へのきっかけになったというストーリーでした。
二章では、ともにベンチャーでの起業を体験した二人が、いまどきのベンチャービジネスの成功のポイントを語ります。
・起業のスタイルが大きく変わった
川原
最近は水野さんのまわりには、起業したいという夢を持って勉強している人はいますか?
水野氏
最近は、僕の廻りでは起業したい人なんてあまりいません。
金儲け指南のコーチとかコンサルタントで独立した人はいても、最初から資金調達してオフィス借りて営業活動するっていうような人はまわりにいないですね。
自分でも一度起業に失敗していますから、そういう実業には近づかないようにしています。
川原
ベンチャーでの起業って、新しい時代に入ったと思いますね。
ひと言で言えば、「起業が目的」という時代は終わりました。
自分や水野さんの時代までは、どんなに事業が苦しくても「起業=IPO」で大儲けのサクセスストーリーが後ろについていたけれど、もうそういう時代じゃない。
本当にやりたいことがある人が、今の会社じゃそれができない、今の環境の中ではその事業は無理だから起業するしかないという選択肢しか残っていないでしょう。
若者が就職を考えるときも、A社か、B社か、起業かでいいと思う。
これやりたい、A社ならできるかもしれない、B社でもやれるかもしれないしやれないかもしれない、でも起業なら絶対にやれる。さてどれを選ぼうか。
今はそういう考え方をする時代ですね。
水野氏
つい一週間くらい前に2006年1月の日経新聞のバックナンバーを読んでいたんです。1月1日の社説を読んだら、「バブル崩壊後15年という時間の経過で再び確認できた日本の底力」と書いてある。つまり経済は上げ潮ムードだったんです。
ところがその二週間後にライブドアショックが起こった。17日の一面は「ライブドア本社に強制捜査」の記事です。
やっぱりあそこで一気に潮が引けたっていうのはありますね。
あそこを境に、それまでIT業界を中心に盛り上がっていた、「リスクを犯しても起業して頑張ろう」みたいな風潮は完全になくなった。止めを刺したのが、2007年のリーマンショックです。
その結果ほんとに市場が冷え切ってしまって、起業のリスクを背負おうと思う人が生まれにくい風潮になってきています。
あのときのホリエモンさんへの罰の被せ方は、盛り上がっている市場全体に冷水をかける結果になりました。
証券市場も人気が下がって、海外の投資家も離れて、国内の個人投資家も投資しなくなってしまった。
確かにあの当時のプレーヤーたちは調子乗りすぎたっていうはありますけれど。でも、市場が拡大する方向の中でうまくルールを作ればなんとかできたかもしれないのに、ほんとにクラッシュさせたなっていう気がします。
川原
日本の場合、金融システムの中の黒と白とグレーっていうのがなかなか区別しにくい現実がありますね。
ライブドアも、本質のビジネスではないところで株式分割を使ったマネーゲームだったので叩かれた。金融のルールとか哲学が全然確立されていないなかで、浮かれてしまう人がいたということが致命傷でした。
その状況は今もまだまだあって、例えばオリンパス事件とかに繋がっているわけです。
一般的に言って、まだまだ日本人は投資っていうものに不慣れだということですね。だから、現在では投資をあてにしたベンチャー起業は難しいという状況です。
・スモール&ライト・イズ・ビューティフルの時代へ
川原
そういう時代のなかで、水野さんだったらいまどきベンチャーで起業を目指す若者たちにはどんなアドバイスをしますか?
水野氏
その人がどんなビジネスモデルを考えているのか、どんなビジネスリソースがあるのかにもよりますが、一般的にいって昔のように、手元に5000万円あるから銀行から5億円借りて5億5千万円の事業をしようという感覚は絶対だめですね。
川原先生にはその逆の「スモール&ライト」なやり方を教えてもらいました。売上を目指すのではなくて、利益率の高さを目指すスタイルです。
徹底的にコストを削減するためには、例えば、都内の移動だったら徒歩でも自転車でもいい。打ち合わせは 公共施設 か 東京ドームホテルシズラーのオフタイムを使いますが、原稿はホテルで書いています。
表参道で月30万円でオフィスを借りている人に比べたら、そういうスタイルの方が自由になるお金が手元に残ります。
家賃30万円のオフィス借りてしまうと、秘書がほしいとか電話番とか営業マンも何人かほしいとなってくる。それだけで月に100万とか200万円のコストがかかります。となると、月商も年商もそれなりに必要になります。
それに比べたら、スモール&ライトなスタイルの方が稼ぎは少なくてもキャッシュフローはいいです。
川原
スモール&ライトで事業を軽くつくるのは賛成ですね。
お客さんに見える部分はある程度見栄えをよくすることは必要です。なぜかっていうと人って見た目、目に入ってくる情報で物事を判断しますから。
ところが水野さんは、失敗を経験したからこそ、公共施設内でパソコンを打っていてもいいと考えられるようになった。
どこで原稿を打とうが、お客さん(読者)には見えないんですから。
まさに失敗したからこそ身に付いた、徹底的に管理費を抑えるやり方ですね。
水野氏
別の言い方をすれば、身の丈にあったケチケチ経営が基本だと思います。
例え守銭奴と言われようが、自分から出るお金は極力ゼロにして、もらうお金を極大化していく。
拙書にも書きましたが、ITバブルやベンチャーブームのころは、お金が循環していますかたら「なにかわからないけど出資させてくれ」っていう投資家がいたんです。100人に投資して2,3人がIPOしてくれたら儲かるという感覚でした。
ところが今はお金が入ってくる時代ではないので、極力使わないことです。
今、従業員を抱えてベンチャー企業を経営している人は、もしかしたらコストカットを徹底的にすればすぐ黒字になるかもしれませんね。
川原
大切なポイントは、管理費を削減していっても、本質的にやりたいことへの時間や投資は惜しまないという姿勢ですね。
時には、遠くにボールを投げるような自分への投資は必要です。けれど、見栄張るような投資はいらないということだと思う。
水野氏
見栄も常識もカットして、残った実弾をどこに有効に打ち込むかっていうことがポイントです。
川原
もう一つベンチャー経営者にとって大切なのは、右腕の存在だと思います。
事業がうまく廻り始めて、次のフェーズに行く時に必要なのは、新たな資金よりもしっかりと経営をコントロールしてくれる人材だと思います。
経営者自身はお金に弱くてもいいと思う。ただし、自分はお金に弱いってことだけは絶対認識すべきだけれど。
そして、こいつにだったら任せられるっていうお金に強い右腕が絶対に必要です。
そうすれば、その人の言うことは聞くというルールで経営していれば、次のフェーズに向かって伸びていくことは充分に可能だと思います。
それまでの堅実経営、スモール&ライト経営からひとつアップしていこうっていう段階においては、そういう人材を得ることができないとやっぱり厳しいですね。
水野氏
僕もそう思いますね。ビルゲイツさんとかも、元々はイノベーターのタイプだったのに経営者に変身した希有な例だと言われますけれど、普通はそうはなかなか行かないですからね。
川原
例えば、かつてホンダの本田宗一郎には、藤沢武夫さんという右腕がいました。でも藤沢さんは一切表にでなかった。
藤沢さんは、ホンダの経営が苦しいときに、あえて本田社長をヨーロッパの視察に行かせたことがあった。
そしてその間に、毛筆で全国の自転車店に「うちの本田が開発したカブのスクーターが素晴らしいんだ」という手紙を書いて、そこからカブを売りまくったそうです。
それ以降ホンダの快進撃が始まっていく。やっぱりホンダのサクセス・ストーリーの陰には、本田宗一郎に惚れた右腕の存在があったんです。
水野氏
ライブドアにしても、ホリエモンには途中まで右腕の財務担当者がいたんです。
でも、その右腕が「ホリエモンは有名だけどライブドアは俺でもっているんだ」って思ったあたりからおかしくなった。
途中まではすごくうまくいっていたのに。そのへんもまた、難しいところですね。
川原
どんな企業でも、右腕がしゃしゃり出るようになると駄目なんです。
黒子は黒子だからこそ有効なんだから、そこをわきまえないと。
それもまた、ベンチャー起業の成功の鉄則ですね。
(続く)
第1弾『必然的な出会い、どん底の僕を救った川原さんのひと言』
去年11月に出版された一冊のビジネス本の中に、SKIビジネスパートナーズ代表の川原慎一が登場しました。
タイトルは『幸せの商社、不幸のデパート、僕が3億円の借金地獄で見た景色』(大和書房)
著者水野俊哉。
この本は、著者自身が体験したベンチャービジネスの立ち上げから経営破綻するまでを、青春私小説風に綴った新しいテイストのビジネス書です。
その中で、川原が登場するシーンは、こう綴られています。
このやりとりは、実際に二人が出会った時に交わされたものでした。
時は2004年、ITバブルの全盛時―――。
当時水野氏はベンチャー企業を起こし、あと一歩でIPO(株式上場)を達成しそうでもあったし、3億円にも膨らんだ債務の前に押しつぶされそうな時期でもありました。
それまで体験したことのない巨額の借金のプレッシャーに潰れそうな中で、水野氏はネットで知った事業再生コンサルタント、川原のもとを訪ねます。それが、約6年かけての再生劇の幕開けでした。
あの日から約8年。いま二人は胸襟を開いて、当時のことをこう振り返ります。
人生を変えたあのひと言との出会い
水野氏、
あの時川原先生に言われた「あなたも小物だね」っていうあのひと言が、僕が再生に向かうターニングポイントだったことは間違いありません。普通なら「えっ? 3億円も債務があるの?」と言われるものでしょう。いまから振り返ればあの当時は、3億円の債務を背負っていながら、自分の名誉とかプライドとか、いろいろなものにこだわっていたと思います。それが「こんなことたいしたことじゃないよ」って言われて変わったんです。「あんた調子にのりすぎてたんじゃないの」とも言われたし。ずいぶん気持ちが楽になりました。
川原、
当時、再生相談に来る人の多くが建設業関係者でした。創業ベンチャー系の経営者が思ったよりも少なかったんです。私は元々ベンチャー企業の経営者で、経営破綻してこの道に入ってきたわけですから、当初から同じ道の後輩たちを掬いたいという気持ちはもっていました。ベンチャーを目指す若者には絶対に失敗はあるわけですから。生意気ながら、先輩としてサポートできるんじゃないかっていうのが、この仕事をやる大きなきっかけだったんです。
そこにやってきたのが水野さんだったわけです。自分としては、ようやくこういう人も相談に来てくれるようになったかという思いがありました。
会ったときのことは本に書かれている通りですが、「あなたも小物だな」っていう言葉は計算づくのものでした。再生コンサルタントのもとにやってくるということは、「債務でどうなっちゃうんだ」、「なにを言われるんだ」って相当な覚悟で悩みながら来ているわけです。それがわかっているから、「おまえなんて小物なんだよ」って、ほめてるのかけなしてるのかわからないけれど、意表をつく言葉で気を楽にしてあげたいと思っていました。
水野氏
この本を読んだ読者や編集者からも言われます。「こんな経験をしてすごいですね」、「よく生還できましたね」って。それができたのも、川原先生と会ったからです。会ってなかったら、今頃ヤミ金からお金借りていてどうなっていたかわからない。地獄の中でもがいてもがき続けて、死んでいたかもしれません。今こうして本が書けているのは、川原先生のおかげとしか言いようがないです。
・ターンアラウンドの開始
―――そんな出会いのあと、実際に水野さんのターンアラウンド(再生)への取り組みが始まるわけですが、コンサルタントとして見て、水野さんの状況はどのようなものでしたか?
川原、
相談を受けて債務の実態を調べたときに、まず着目したのは、第三者連帯保証がないということでした。これは朗報です。この先どんな状況になっても、他人に迷惑をかけないってことですから。連帯保証さえなければ、結局どうにでもできる。迷惑をかける人がいると、債務者はますます辛くなって選択肢が少なくなりますから。
それに水野さんと話していて感じたのは、頭がいいということです。正直いって、力量とか頭がいいっていうことも再生には必要です。この人は、状況がわかって先行きが見えたら自分の能力でやっていける。そう感じました。
水野氏
第三者連帯保証がついていないというのは、今思えばラッキーでした。当時はそこまで計算していなかったのです。もちろん銀行から「連帯保証人をつけてください」と言われた時もあって、「付けたくありません」と言って断ったわけですが、そんなに深く考えていたわけじゃない。結果的に付いていなかったっていうのは、あとから考えるとよかった点でした。
―――そこから金融機関交渉が始まります。本の中ではあまり詳細にそのことは触れられていませんが、実際にはどんなお気持ちでしたか?
水野氏
金融機関交渉なんて、それまでの自分にとっては有り得ない話でした。債権者に追われることはあっても、ゲームのパックマンみたいに、食べられそうになったら逆にこっちから相手に向かっていこうなんていう発想はないわけですから。冗談じゃないと思ったし、行きたくなかったです。電話がかかってきても出たくない状態なのに、こちらから電話をかけてアポをとって「払えない」って交渉に行くなんて、精神的な重荷以外のなにものでもありませんでした。
あれも川原先生が一緒に来てくださるっていうからできたことで、一人でやれって言われたらできませんでしたね。
川原
一般的に言って、債権債務の問題は、債務者が逃げれば債権者は追う、追わざるをえないというのが心理なんです。だから、金融機関からかかってきた電話に出ないと状況は悪くなる一方です。堂々と金融機関に出かけていって、「今ちょっと返済が厳しい」と相談して、相手に「可哀想だな」と思わせたほうが金融機関としても扱いやすくなります。
だから、アポイントを取って説明責任を果たすというのは債務者として最低限やらないといけないことなんです。もちろん私も一緒に行って、債務者が一定の説明をしたあとの交渉は私が引き受ける。それが銀行交渉のセオリーです。
水野氏
日本では、小学校のころから「お金は借りたら返す」ということをたたき込まれてきていますよね。それが「返せない」という交渉をするなんていう発想は、99%の人が持っていないと思います。いまでこそ金融円滑化法ができて、返済のリスケジュールが比較的簡単にできるようになりましたが、当時としてはそんなケースは少なかったはずです。債務者の実感としては、相当すごいことをやっていただいているって感じでした。
川原
そうはいっても、銀行に行ってみると水野さんはプレゼンテーションがうまい! 銀行対策スーツっていうのもあったし(笑い)
水野氏
あれはテレビで一回見たんです。借金の交渉をする人のドキュメンタリーみたいな番組を。
川原
ベンチャー起業家って、昔の私と同じで、攻めるものはうまいんです。プレゼンだけじゃなくて、営業でも企画でも。でも、ディフェンスは習ってないから、弱い。
水野氏
そうなんです。相手を説得するとか、アピールする時はなんとでも言えるんですが、金融機関交渉みたいに後退しながら状況説明をするのはやったことなかったから、難しかったです。
・守りながら攻める、攻めながら守る、ベンチャーならではの作戦
―――この段階で、水野さんの再生計画はどのように考えていましたか?
川原
ベンチャー企業というのは、片目でIPO(株式上場)を睨みながら、片足は破綻に突っ込んでいるわけです。どっちにしても行くところまで行くしかない。だからこの時アドバイスしたのは、めったにないことなんですが、ひとまず金融機関への返済は全てストップして、その上で金融機関からの融資以外に資金調達の方法があるなら、可能な限りチャレンジしてIPOできるかどうかやってみろということでした。あなたには攻める力はあるから、攻められるあいだは攻めようと。それでだめだったらそのときはそのときだと。それが言えたのは、第三者連帯保証がなかったからです。
水野氏
あの時考えていたのは、金融機関交渉をして一旦猶予をもらって、その上でIPOするなりどこかの会社に事業を売却するなりして、返済資金を集めないといけないなということでした。資金が集まる出口を見つけるまでは走り続けなければいけないのかなと。
当時は、赤字でも新興市場に上場していた企業もあったので、一発逆転を狙えるんじゃないかなって声もあったのです。
川原
ナスダックやセントレックスが生まれていたころです。要するに、市場のお金を融資から投資に変えようとする流れがあった。3年間は赤字でも上場できるという状況でしたから、ある意味画期的でした。
水野氏
ところがだんだんと私の中にも変化があって、最初は事業を大きくすることが資金集めの目的だったんですが、途中からは、なんとか事業をエグジットに持っていって負債を返そう、という目的に変わってしまったんです。競馬でいうと、2万円くらい負けたけど最後一発大穴で返したいみたいな感じですね。
はっきりやめようと思ったのは、間接融資ではなくて直接的な資金調達法をやってお金を集めたのですが、起死回生の策を練ろうと思ったときにその資金がショートしてその事業ができなくなった。そこが一番のタイミングでした。
それを境に社内の内部崩壊も始まったし、従業員も整理しないといけなくなった。その段階で、もはやここまで、事業はやめようと思いました。
この時は恥じも外聞もなく身軽になりたいと思うようになって、深海でもがいて苦しくて、とにかく水面に出たいと思った。戦う気力がなくなったんです。
川原
どこかで「見栄」とか「こだわり」を捨てて、自分の弱さを認識して、具体的に進むべき選択肢はなにがあるんだと考えるようになったということでしょうね。
・「逃げ」てもいい。「間」をとらないとリターンできない。
―――最後の段階でのアドバイスはどんなものだったのでしょうか。
川原
最後の最後のアドバイスは債務整理でした。いろいろな形で挑戦してみて、ちょっとこのままビジネスを進めても難しいことが見えてきた。このビジネスモデルでは、先の計画も立てられないとわかった。でも連帯保証人はいないし、失うものないから債務整理しましょうといいました。
ただこれを最初から言うのは絶対にまずいんです。彼の場合ベストを尽くした。でも方法がないからターンアラウンドする。不動産も持ってなかったから失くすものはなにもない。やるだけやることが大切です。その上で債務整理を薦めました。
水野氏
この時川原先生から言われたのは、とにかく引っ越せばいい。携帯も出なくていいということでした。
川原
この段階では、はっきり言って逃げるべきなんです。そこで逃げちゃいけないとか、男らしくないとか考えなくていい。逃げて、時間的な「間」を取らないとリターンできません。最前線でずたずたになっているときには、死ぬよりも撤退しないといけない。撤退するのも戦術のひとつです。
水野氏
そのことは最近私もわかるようになりました。戦に負けた武士でも、甲冑とか全部放り投げて、見栄も外聞もなく逃げるっていいますよね。確か信長も一度逃げているはずです。そこで見栄を張っちゃうと死にますね。
あのときは、後ろも見ないで全て捨てて高い山まで走って逃げないと捕まって殺されちゃうみたいな、今思うとそういう感覚でした。
川原
そうそう。一旦逃げて「間」を置いたほうが、債権者は債務整理や債権の譲渡処理に入りやすいんです。
そして水野さんも、この時間稼ぎの間に、次ぎに進むべくビジネス本の企画の方にエネルギーを向けられたわけです。デビュー作となった『成功本50冊「勝ち抜け」案内』という企画は、この間にできたものでしたよね。
水野氏
川原先生から「事業はやめたほうがいい」と言われて、事業の整理をし始めたとき、原因不明の病気というか歩けなくなるくらい体調が悪くなりました。だから心身ともに限界だったと思います。半年くらいあまり働けなくて、コンサルティングのお手伝いみたいなことをやりながら家で寝込んでいる時期がありました。
その時ある出版社から、ビジネス本のガイドブックが頓挫しているという話を聞いて、だったらこういう企画はどうですかと提案したのが『成功本』だったんです。その企画が通って、新しいテーマができたので、全身全霊で執筆しましたね。
川原
水野さんの場合は、お金は集めたけれど遊びや投機に使ったのではなくて、あくまでもビジネスにチャレンジして一敗地にまみれたわけです。債権者たちも、リスクをわかって融資(金融機関)したり、投資(私募債)したりしたんですから。
私は、市場にはこういうチャレンジャーも必要だと思っています。スティーブ・ジョブズだってあれだけ何度も何度も失敗して、そのたびにやり返しているし、スピルバーグも破産を経験している。
そういう若者の存在は世の中に必要だと思っています。
水野氏
なかなかそういう見方をしてくれる人は少ないですけれど(笑)
川原
だからこそ、ベンチャービジネスに挑戦する若者は、失敗の仕方を学んでおかないといけないということです。
(続く)
川原愼一
(株)SKIビジネスパートナーズ代表取締役
ベンチャー起業家を経て、倒産、経済破綻を経験。債務問題を自力で解決する過程で事業再生のノウハウを学び、2001年よりコンサルタントとしての活動を開始。現在までに数百社の再生相談に対応。個人債務者から年商数百億円規模の企業のM&Aまで、様々な成功事例を持っている。
水野俊哉
ビジネス書作家
著書一覧
「成功本50冊勝ち抜け案内」(光文社)「成功本51冊もっと勝ち抜け案内」(光文社)「お金持ちになるマネー本厳選50冊」(講談社)「知っているようで知らない 法則のトリセツ」(徳間書店)「「ビジネス書」のトリセツ」(徳間書店)「モテ本案内51」(ディスカヴァートゥエンティワン)「誰もが無理なく夢を引き寄せる365日の法則」(きこ書房)「ビジネス本作家の値打ち」(扶桑社)「マトリックス図解思考」(徳間書店)「徹底網羅お金儲けのトリセツ」(PHP研究所)「ビジネス用語の常識・非常識」(双葉社)
取材/日経新聞、日経ビジネスアソシエ、日経キャリアマガジン、ゆかしメディア他多数
水野俊哉公式HP
http://mizunotoshiya.com/